UMDS University
of Marketing and Distribution Sciences
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我が母校のシンボル ベルのないベルタワー |
僕の大学生活は、クラブ活動にあけくれる生活だったように思う。 そりゃもう充実しとった。 流通科学大学 情報学部 経営情報学科 入学 1回生: 学園祭実行委員会に入部。部署は、渉外部といって学園祭のスポンサーを探す仕事に就いた。この事が大学生活の基盤となる。 リンデンバウム(ドイツ文化研究会)に入部。ドイツ料理を食べあさる。ドイツワインとの出会いもこの時。 2回生: 学園祭実行委員会の渉外部部長となる。この時訪問した「柏井紙業ビル」は、後に震災でフラワーロードに横たわる。 2回生後半の1月17日に震災。 3回生: 学生会執行部を発足。そのサブチーフとなる。また、それによって、近隣6大学の学生会の集合体「西神戸大学連合会」の副会長になる。この会での仕事は、ボランティアが主であった。 リンデンバウム(ドイツ文化研究会)の部長となり、それによって、文化会の副会長となる。文化会主催のクリスマスパーティの企画は面白かったなぁ。 弘岡ゼミ(産業技術論)に入り、ゼミ幹になる。この年の学園祭で震災に関する展示を行い、それが評価されて、弘岡ゼミ全体で年度表彰「飛翔賞」を受賞する。また、日本経済新聞にも「被災地の学生は今」という題で記事が載った。 4回生: 3回生の延長。就職が早くに決まっていたので、主に足りない単位の修得に奔走していた。 卒業論文に真剣に取り組んだ事が、非常にためになった。テーマは「日本経済の発展と主導産業の変遷」。 ホントに楽しかったよ。 |
僕にとっての流通科学大学の魅力とは、次にあげる点だった。 @ 設立7年くらい(当時)の若い大学であったこともあり、積極的な活動を学校がサポートしてくれた。 A 講義の内容が、戦略的・効率的経営に関する事が多く面白い。 B 車通学を学校が認めている。 これらが良かった。 @については、さっき経歴でも少しあげたけど、何かイベント事をする時、大学側のサポートが行き届いてた。そりゃ反対される事も多かったけどね。結果として良かった。 Aが重要で、大学の講義が面白いんよ。特に、専門分野に移る3・4回生の講義が良くて、僕は情報学部やったから、情報技術の発展をどのように経営に活かせれるかという事について学んだ。「産業技術論」とか「戦略的情報システム論」とか、社会人になって、ますます勉強したくなる講義が多いんよね。 そうそう、こんなのもあった。流通科学大学といったら、ダイエーの中内さんが創った大学やろ。やから、ダイエー情報システムの方とか、中内理事長まで講義に来るんよね。これがまた面白い。それに、ダイエー社員の研修センターに行くという研修もあって、そこでする事がまた面白い。全員を5つくらいに分けて、それぞれが架空の会社を設立するんよ。タケモトコーポレーションとかね。そして、コンピュータ上で、売上を競って、最も高い株価をつけたグループが良いわけよ。面白かったなぁ。 Bも重要。学校内にえらい大きな駐車場があって、車通学を認めてるわけよ。車は良くってね、行動範囲がものすごく広くなるんよね。それにいきたい時に行きたい所にすぐ行ける。オンデマンドやね。クラブ活動でいろいろ出来たのも、かなりこれに支えられてたと思う。 思い出いっぱいの良い大学よ。我が母校よ永遠なれ!!]
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平成17年9月19日、僕らの理事長、中内 功氏が亡くなった。 理事長の講義を受けていた時もそうだったし、卒業後にお話しを数回させて頂いた時もそうだったが、理事長の持つ強い意思をその度に強く感じさせられた。思えば、私が社会人になった後にも方向転換の際に意思を強く持ち続ける事ができたのは、我らが理事長が強い意思を持っている姿を、こうして見続けていたからかもしれない。 私が今を大変満足に過ごしているのは、中内理事長が流通科学大学という場を私に用意して下さったからであろう。理事長への感謝を心に強く持ち、得た事、学んだ事を、これからも大切にして生きて行くと誓いたい。
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2005/10/17 |